なんか人生とかでっかく言ったけど、近頃ふとそう思うようになってきた。
もしも10代に戻れたら
もしも10代に戻れて進路の選択をやり直すとして。
「生活が楽になるから公務員になりなさい」「医者になりなさい」って言われてもまったくやる気が出ないと思う。(なる能力があるのかはさておき)
興味が湧かない分野の勉強はどこまでも他人事で、身が入らない。
小学校でプログラミング教えたり、将来的に英語が必修教科になったりするそうで。
もし自分が小学生のころにこんな教育されていても、辛いだろうなあーと思ってしまった。
興味もなかったし理解が遅いから置いてけぼりだろうし、既に趣味でやってたり習い事してる奴らの独擅場になるだけだろうし。
興味が無かったらどこまでも他人事
今の私は個人的にどちらにも興味がある。プログラミングはArduinoやラズパイでちまちまやってる素人レベルだけど、とっても楽しい。
これは、私が当事者だからだ。
ARDUINOやラズパイは、「自分で簡単なプロトタイプや実験をする」という事が仕事で必要になった。
仕事上の課題をつぶしているうちに、プログラミング=他人事から「当事者」になった。
英語も、仕事で論文を読んだりメールやりとりなんかで使う必要があったから当事者になった。
(喋れないし、まだまだ当事者意識は足りてないが・・)
具体的に作りたいアプリがあるとか外国人の友達と会話したいとか、ひとたび当事者になれば義務教育で無理やりやらされたことなんか、集中してやれば短時間でキャッチアップしてしまう。
当事者になって、「これは自分の分野だ」っていう意識ができると初めてガツガツと知識をむさぼれる様になる。
負の感情に火をつけよう!
じゃあどうやったら当事者になれるんだろう?
「劣等感」「恨み」「敵対心」こういう負の感情に火をつけるといいと思う。
私は音痴だねーと笑われても、まったく何とも思わない。
けど、仕事の事で笑われると悔しい。
何かに妬みを感じたり、悔しいと思う事が自分の道だ。
自分のケースを考えると、資格だの仕事だのと勉強に打ち込めたのは、周りにさんざん馬鹿にされたからだ。
一緒に仕事をして経験を積んでいても私とか文系出身組はバックグラウンドが違うから「よそ者」扱い。
「あれ?理系じゃないのにエンジニアっていうんだ?」みたいな無邪気な排他主義。
もしかしたら技術そのものの興味よりも、劣等感や敵対心を埋めたい気持ちの方が大きいのかもしれない。
でも仕事として続けられているから、結果オーライだ。
こういう劣等感とかのドロドロした感情は、向上心を押し上げる大きな動機となってくれる。
そう考えると、義務教育も劣等感をあおるという点では、良い仕掛けなのかも。
だからこそ一人プロジェクト
このブログでもよく書いてるけど、「一人プロジェクト」はおすすめ。
漫然とした学習ではなくて「プロジェクト」なので、期間とか目標とか目的を定める必要がある。
それが当事者意識を作ってくれる。
資格取得も一種のプロジェクトだ。
試験日が「納期意識」「焦り」を促してくれるし、点数や合否が「闘争心」を満たす。
技術分野なら、コンペにエントリーしたり、ものを作って売ってみたり。
ただ、「1人」ってアタマに付けている通り、1人でやるに限る。
他人が絡むとヒエラルキーが発生して仕切り屋においしい所をとられたり、下働きを強いられたりして損することが多いからだ。
何の当事者になれるかは、周りの環境や自分の性格次第なので運次第。
私も他の分野に興味が湧いていたら、リッチに暮らせていたのかなあ(笑)